性愛(もっと)
欲望ではなく、支配の話
レイプを、
だが、それは欲望の問題ではない。
欲望とは、本来、相手へ向かって開かれてゆくものだ。
触れたい。
感じたい。
ひとつになりたい。
そこには、たとえ身勝手さが混じっていても、
しかしレイプには、相手がいない。
そこにあるのは、
ひとりの人間を自分の意志に従わせ、抵抗する力を奪い、
だからレイプは、性欲が強すぎた結果ではない。
性の姿を借りた暴力なのだ。
そして厄介なのは、
女は従順であるべきだ。
男の欲望を受け入れるべきだ。
拒みながらも、本心では望んでいる。
そんな腐った物語を、
社会は長いあいだ男たちに教え、
女を所有物のように扱う社会では、
性交もまた支配の道具になる。
だが、本当の性愛は支配からは生まれない。
相手の身体を奪うことと、
相手が自ら身体をひらくことは、
強制された服従にエロスはない。
恐怖で動かなくなった身体を、受容と呼んではならない。
性愛とは、相手の嫌だを消すことではない。
その嫌だを聞くことのできる人間だけが、
相手のもっとに触れられる。
性は、人間のもっとも深い場所へ降りてゆく行為である。
だからこそ、そこに必要なのは力ではない。
同意と信頼、
欲望が悪いのではない。
欲望の中から、
相手を消してしまうことが悪いんだよ。
キュレーター紹介
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