緊縛を習う(矛盾)
緊縛の美しさは、派手な技の中にあるとは限らない。
難しい形をつくればいい。
高く吊ればいい。
観客を驚かせればいい。
そんなふうに足し算ばかりしていると、
私は、縄を当てた身体が静まっていく時間が好きだ。
肌にめり込む張った縄
じわじわと汗ばみ知らせる。
頬に張りついた髪。
呼吸のたびに、ほんの少しだけ変わる身体の輪郭。
何も起きていないようで、
そこでは絶えず何かが起きている。
きつく押し当てられれた縄は動かない。
しかし、その内側では人間が生きている。
息を吸い、息を吐く。
指先に力が入り、やがて抜ける。
張りつめていた肩が、わずかに下がる。
その小さな変化に、どれほど多くの言葉が隠れていることか。
世の中は、何でも大きく見せたがる。
感情は大袈裟に。
美しさはわかりやすく。
感動には、ご丁寧に説明までつける。
だが、身体はそこまで親切ではない。
こちらが黙って見ていなければ、見落としてしまうものがある。
赤い縄と、光を受けた肌。粗い繊維と、柔らかな曲線。
形を留めようとする縄と、その中で少しずつ変わり続ける身体。
私はかつて服をつくっていた。
布を裁ち、縫い合わせ、身体に沿わせる。
けれど、どれほど美しく仕立てた服も、
縄も同じだ。
縛り目だけを見ても、緊縛はわからない。
その人の重さがあり、体温があり、
その日、
縄はそれらに触れて、
だから、身体を自分の作品の材料だと思い始めたら、
こちらの思いどおりにならない命が、そこにいる。
その命に形を与えながら、
緊縛とは、ずいぶん矛盾した仕事だよ。
そして、縄はやがて解かれる。
影は消え、身体は動き出し、
さっきまでそこにあった姿は、
手間を掛けてつくったものを、自分の手でほどいてしまう。
商売としては、まったく効率が悪い。
それでも、解く前にふと手が止まることがある。
何かを足したいのではない。
もう少しだけ、この呼吸を感じて見ていたいんだよ。
キュレーター紹介
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