瘋癲ノ喜多サン
喰うか喰われるか
情熱に精神性のなにがしなどない。
哲学もいらない。
教養もいらない。
ましてや立派な人生論など必要ない。
情熱はそんな上等なものではない。
知性の光が届く前から、
人間の奥底でうごめいているものだ。
そこにあるのは単純な衝動。
喰うか喰われるか。
欲しいものを欲しいと思う力。
触れたいものに手を伸ばす力。
手に入れたいものを追いかける力。
ただそれだけだ。
情熱的に愛そうが、
情熱的に愛されようが、
そこに大した意味などない。
理屈を並べても、
美しい言葉を飾っても、
最後には肉欲が渦を巻いている。
抱きしめたい。
独り占めしたい。
離したくない。
その感情の正体は、
案外シンプルなものだ。
人間は文明を築き、
文化を作り、
知識を積み上げてきた。
だが情熱だけは、
今も動物のままだ。
恋に落ちる瞬間も、
嫉妬に苦しむ瞬間も、
誰かを求めて眠れない夜も、
そこには理性より先に本能がいる。
だから情熱とは、
精神的なあるものではなく、
知的なあるものでもない。
生命そのものだ。
生きているという証拠だ。
生きている限り、
いくつになっても情熱的であれ。
若さとは年齢ではない。
何かを欲し、
何かに夢中になり、
何かのために心を乱せることだ。
好きか嫌いか。
喰うか喰われるか。
そのくらい単純で、
そのくらい乱暴でいい。
人間なんて、
もともとそういう生き物なのだから。
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