瘋癲ノ喜多サン

きのうのきょうのメロディ

人生は、イメージどおりにはいかない。

計画を立てる。
未来を思い描く。
こうなるはずだと期待する。

だが現実は、そんな人間の都合などお構いなしに崩れていく。

楽しみにしていた日に雨が降る。
もっと最悪なら台風が来る。

それでも人は言う。
「雨天決行です」

もうそこまで来ると、計画もへったくれもない。
自然の前では、人間の思惑など紙切れみたいなものだ。

人生そのものがそうなのかもしれない。

恋愛はどうだろう。

恋人が出来たら毎日アツアツで、
見つめ合い、抱き合い、
ドラマみたいな愛が続くと思っていた。

だが実際はどうだ。

機嫌が悪い日もある。
疲れて寝る日もある。
連絡が面倒になる夜もある。

結婚したら毎晩セックスすると思っていた男もいるだろう。
だが現実は、ローンや仕事や生活に追われ、
「今日は眠い」
「明日早い」
そんな言葉が積み重なっていく。

子どもだってそうだ。

計画どおりに生まれるとは限らない。
思い描いたように育つとも限らない。
なつくとも限らない。

親の理想など関係なく、
子どもはひとつの人格として勝手に育っていく。

事業も同じだ。

計画どおりに拡張できるわけがない。
売上も人間関係も景気も、全部が不安定だ。

「返済は無理なくお早めに」

そんな広告を見るたび思う。
無理なく返済できる人生なら、そもそも借りねえよ、と。

計画どおり。
思惑どおり。
都合よく。

そんなふうに進む人生など、たぶんほとんど存在しない。

それでも人は、未来をイメージしてしまう。

来年の自分。
十年後の自分。
理想の暮らし。
理想の恋愛。

だが、きょうの自分を、きのうのあなたは本当に想像できていただろうか。

突然誰かに恋をすることもある。
突然すべてが嫌になることもある。
突然終わることもある。
突然始まることもある。

人生は、譜面どおりには演奏されない。

きのうのきょうのメロディで、
人はただ、その場その場を歌い続けている。

間違えながら。
外しながら。
酔っぱらいながら。

それでも妙に、生きてしまう。

だから面白いのだろう。

完璧に計画された人生なんて、
たぶん退屈だ。

少しズレて、
少し壊れて、
少し思惑が外れているくらいが、
人間の人生にはちょうどいいのかもしれない。

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

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