瘋癲ノ喜多サン

緊縛を習う(脱ぐ)

緊縛とは縄で縛ることではない。

日常を脱ぎ捨てることから始まる。

衣服を脱ぎ、肩書きを脱ぎ、

常識を脱ぎ、自分を守ろうとする全てを脱ぐ。

縄が身体を拘束していくにつれ、人は自由を失うのではない。

むしろ余計なものから解放されていく。

自らを支配していた理性や警戒心が静かに後退し、

普段は見せることのない本当の感情が姿を現す。

痛みもまた敵ではないんだ。

苦痛と快楽は決して対極ではなく、ときに同じ扉の両側に存在している。

緊縛とは支配と服従の遊戯である以前に、

自我を手放し、本来の自分と向き合うための儀式なのである。










 

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

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