瘋癲ノ喜多サン

緊縛を習う(覚醒)

緊縛とは肉体への刺激を楽しむ遊びで終わるものではない。
縄が身体に触れた瞬間から、人は日常の自分を少しずつ手放していく。
理性で築き上げた肩書きも、常識も、強がりも、縄の前ではあまり意味を持たない。
身体が拘束されるほど、逆に内面は剥き出しになっていくのである。
羞恥、恐れ、期待、服従、解放。
普段は隠されている感情が次々と表面へ浮かび上がる。
だから緊縛の本質は拘束ではない、感覚の覚醒である。
人は自由でいるとき、自分を守ることばかり考えている。
しかし自由を奪われたとき、初めて自分を守る必要がなくなることがある。
そこに生まれるのは無力感ではない、委ねるという体験だ。
委ねることでしか辿り着けない場所がある。
古来の宗教家や修行者たちが、苦行や瞑想によって到達しようとした境地を、
現代人は縄という極めて肉体的な方法で垣間見ることがある。
エロスとは単なる性欲ではない、生きる力そのものだ。
緊縛とは、その根源的な生命力と向き合うための儀式なのである。
欲望を否定するのではなく、恐れるのでもなく、ただ見つめる。
縄の中で人は、自分が何者であるかを思い出す。
だから人は縄に惹かれるのである。










 

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

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