瘋癲ノ喜多サン
イチモツサシ
人の評価を気にして生きているうちは、
どうにも自分というものが定まらない。
他人のものさしで測られ、
他人の秤で値踏みされる。
それでも誰もがそこから逃れられずにいる。
望ましいのは、自分のものさし加減で生きてみることだ。
ふと気まぐれでそうしてみたら、
案外それが他人の評価に値して、
まとまった金が転がり込んできた。
気持ちいいくらいに散財して、
柔らかい女の肌と香水の匂いに包まれながら、
これも人生かと笑ってくたばる。
それなら悪くない。
けれど、他人の尺度で生きた人生は、味気ない。
少しばかりの称賛、
そこそこの金を
女房と子どもにむしり取られ、
ストレスで髪は抜け落ち、
アルコール消毒の匂いの中で息絶え絶え。
女房の笑顔が遠のく死のふちで...
苦みばしった顔のまま、世を恨んでくたばる。
そんな結末もまた世間的には、正しいのかもしれない。
金に恵まれず、執着もせず、
自然に逆らうことだけを生きがいにして、
自分のイチモツサシだけを頼りに生き抜いて、
最後は花の匂いに包まれて、
大満足の敗北宣言でくたばる。
それもまた、粋な幕引きだ。
だが散財は、やっぱり魅力的だ。
金にはそこそこ恵まれて、
自然に逆らうことを生きがいにして、
自分の欲のままに笑い、転がり、
死ぬときぐらいは
虫が気持ち悪くても、
花の匂いを嗅ぎながら、
色っぽい女とネンゴロになって、
そのあとで静かにくたばる。
きっとそれがベストなのだ。
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