瘋癲ノ喜多サン

モロダシのナニガシ

雄弁に話していた姿は、いつのまにか影をひそめ、
残ったのは、目をそらすありさまだけだ。
あまりにもモロダシで、
直視などできようはずもない。

目もそむけたくなるようなモロダシ。
それは純粋なのか、阿呆なのか、
素直なのか、気狂いなのか。
判断がつかないからこそ、
人は立ち止まる。

本当に興味があるのは、
見えているものではない。
隠しているモノのだ、
性質や具合や、その深みだ。

そのナニガシが、
ふとした拍子に垣間見えるとき、
人は無意識に選別を始める。
好くか、嫌うか。
詮索するか、試すか。
じゃれ合うか、密着するか。
あるいは、静かにあきらめるか。

本来、
隠しているナニガシを思いめぐらすことこそが、
関係の愉しみだったはずだ。
想像し、誤解し、踏み込みすぎて後悔する。
その往復の中にしか、
生きた温度は生まれない。

だが、
すべてが露わになってしまった今、
想像は居場所を失った。
もう、
話すことは何もない。

残っているのは、
見てしまった、という事実と、
見なければよかった、という感情だけだ。

沈黙は拒絶ではない。
ただ、
言葉が不要になっただけなのだ。

 

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

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