瘋癲ノ喜多サン

ささやかな抵抗

人間は、圧倒的に自然に勝てない。
どこまで文明を築こうが、所詮は受動的な存在だ。
自然保護だなんて、笑わせるな。
人間が地球をコントロールできるのは、ほんの薄皮一枚。
地中のマグマと共に暮らすこともできず、
富士山の頂で牧場を営むこともできない。
結局、地球の表面にへばりつくバクテリアみたいなものだ。

私たちは、なにかにコントロールされて生きている。
その「なにか」を、便宜的に神と呼ぶとしよう。
だがその神は、何を根拠に采配している?
博打だ。
サイコロの目ひとつで、生かされも殺されもする。
まったくもって、くだらない。

台風が来る。豪雨が降る。地震が揺れる。ウイルスが這う。
個人の生死は、偶然の目に任されるだけ。
だが人類という種は、数十人の男女が生き残れば、
また繁殖して続いていく。
それが「生命の意思」だとでも言うのか。

私はといえば、そんな大義にはまるで興味がない。
人類の存続よりも、目の前の女に惹かれる。
自然に反発するような、
生殖を暗示するファッション、
儀式のように塗られた化粧。
その匂いに、死を予感するエロスを見る。
私はマタギのように、自分の銃を構える。
女の尻に向ける、それは私なりの「自然への挑戦」だ。

あきらめるとは、あきらかにして受け入れること。
自然に勝てないのは、あきらかだ。
自分の生命を自分でコントロールできないのも、あきらかだ。
だからこそ、私は清く正しい女との関係をあきらめた。
それは、私の小さな反抗であり、ささやかな抵抗だ。

虫けらのようにちっぽけな存在でも、
私は生きざまというアートを刻み続ける。
アート村の住人としてではなく、
ただ、生きるという能動の証として。

私は自然と共存したくない。
自然は私の敵だ。

私が生まれた理由も、死ぬ理由も、そこにはない。

 

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

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