瘋癲ノ喜多サン

彼女は私が緊縛師であることを知らない

私の母は痴呆で精神病院に入院しているのです。

90歳と年齢も年齢なので痛々しさはないのですが、

とにかく変わった人で、

(本人は至って普通で真面目で気の小さな人間だと真剣に思い込んでいる)

私が物覚えがつく頃には、

女性専門の服の仕立て屋をしていました。

なぜか顧客の多くは学校の教員だったのです。

汚く狭い借家の一角が仕事場で

よくそこでお客さんが採寸をしたり仮縫いをしに来ていました。

ミシンは足踏みミシンで、

そのミシンをおもちゃにしてよく遊び

凶暴な母に物差しで容赦無く叩かれました。

当時の母の好きなものは、

プレスリーとアランドロンと西城秀樹とグラタンと黒飴

これらの好きは後に、全てパチンコへと変わるのです。

安物のポータブルステレオでプレスリーのレコードをかけながら

縫い物をしていました。

ミシンを踏むときは、

ハウンドドックや監獄ロックなどのロックロールを聴きながら

ノリノリでミシンを走らせるのです。

私はそんな母をかっこよく思っていました。

そしていつしか親戚のお兄さんに貰ったガットギターで

それらを弾いてシャウトしていました。

母の感想は下手くそでかっこ悪い

何においても一度も誉めることのない人でした。

私がファッションデザイナーになったのも

映画好きになったのももちろん

ロックローラになったのも

母の影響だったのでしょう。

この前娘と一緒に母の入院する病院に面会に行てきました。

そこには髪の毛を短くされてパンクロッカーのような老婆が、

車椅子に乗って睨みを効かしていました。

90歳にもなるので髪は真っ白でまさにパンカー

これぞ本物のパンクの女王だ!

ヴィヴィアンウエストウッドも真っ青だよなと

娘と大笑いをしました。

痴呆も進んで、

チャイナドレスを持って来てくれと言うので

どうしてと尋ねると。

今度ここでパーティがあるからと、

パンクの女王がチャイナドレスを着て

精神病でのパーティに参加するとのことだ。

まったく最高にファンキーな母だ

どうぞ長生きしてください。

彼女は私が緊縛師であることを知らない。

 

キュレーター紹介

逝かせ縄という妙技を操り、多くの女性を快楽の果てと誘う。東京と名古屋に道場を持ち、日本古来の文化である美しい緊縛を多くの生徒に伝承している。美しくなければ緊縛ではない美しい緊縛は気持ちがいい、それは肉体と精神と性が解放されることだ。

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