その他

心が苦しくなったときは

『ブルーピリオド』というアニメで、「きみは誰かが溺れていたら救命器具は持ってくるがそこに飛び込むことはしない」と訴えるシーンがある。

芯があり、じぶんの「スキ」を貫き、他人の影響など一切受けないようにみえた人物が、実のところ真逆の人生を強いられているとわかったあとの展開だった。一緒に溺れるつもりもないのに同じ土俵でしゃべろうとするなよ、と言いたげだった。

彼は、いまとても苦しくて逃げだしたいがワケあってできずにいる。「誰か、オレがイヤがってもここから連れだしてくれないかな」。拒絶のポーズをして逃亡の責任を誰かに委ねなければ絶対に抜けだせない、とおもい込んでいるようだ。そうか、そんなときもあるのかと息をのんだ。



この頃、心の苦しさを訴えるひとを、
SNSのタイムラインで見ることが続いている。


いや、

「この頃」というのは半分まちがっていて、おそらくはっきりとは伝わらないニュアンスでそれを何度かは漏らしていたんじゃないか、とおもう。


気づいていたのにスルーしていたのか? というと、少し違う。みんなそうだとおもうが「じぶんのSNSのタイムラインに近況が流れてくるひと」というのは、相手によって親密度が異なる。人には人のステータスがあるから、距離のとりかたは案外むずかしい。


だから、

愚痴です、という前置きがあったり、ウェブにアップするかどうか迷ったけれどそれでも……という逡巡のあとがみられたり、明確なSOSの言葉を発していたりするのを見てはじめて「大丈夫?」と、声をかけてもいい体裁がこちらに整うような気がするのだ。

カジュアルに絡みにいけないじぶんを、呪いたくなることもあるけれど、あなたのことを気にかけていないわけではないことを伝えたい。「ブルーの兆候」を、見て見ぬふりするつもりもない。

そして、アニメ『ブルーピリオド』の主人公も言っていたのだが、「一緒に溺れるつもりはない。がんばって俺が泳ぐから。」


どうか、肩につかまってください。

この気持ちでいるので、たとえわたしが「救命器具を持ってきただけのひと」にみえても、ぜひ。


今回の記事は、緊縛の話とは無関係にみえるけれど、同じ喜多道場でつながっているかたのようすを見ているので、どうしても書いておきたかったことです。

キュレーター紹介

五反田道場の縄受け手。猥談バーの民。なんでもありなフェチフェスのBlogでライターをしています。

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