その他

「上手く縛ろう」は縛り手のエゴ

ある時、縛り手、受け手として、集中して緊縛に携わった際に感じたのが

「上手く縛ろう」と手順や縄しか見ていない縛り手の縛りは、いい縛りにならない、ということ

ちなみに「いい縛り」とは受け手にとって
✔︎麻痺や怪我のリスクがなく安全で安心
✔︎苦しくも痛くもなく心地よい

いい縛りを実現するにはまず道具である縄の状態が良いのが大前提で、
✔︎手入れされた縄
✔︎縛りのスタイルに合ったスペックの縄
を使うのが大原則

表面が毛羽等で荒れていたり、
誤った取り扱いによって撚りが荒れたり捻れている縄では、受け手を心地好く縛ることはできません

そして何より、受け手の安全が大前提
✔︎「痛い」「苦しい」「痺れる」と言われたら、縛るのをやめて解く
✔︎それが「ちょっと痛い」「少しは我慢できる」と程度が軽いような言い方であっても直ぐに縄を解く
のが大原則

例えば、縛る際に捻れを矯正しようとして縄をつまんで引っ張りながら縛る人がいます

なお、こういう人の縛りは、結果的に受け手にとって痛くて苦しく、ひどい場合は着衣で縛っても擦過傷(すり傷)を負わせる縛りになります

縛りの初心者の頃は技量が拙いうえにこのようになることもありますが
指導者から学び、受け手から指摘されたことを直していき、
「痛い」「苦しい」「痺れる」と言われたら直ぐに縄を解くことを重ねることで、やがていい縛りができるようになっていきます

しかし、ある程度の期間学び、練習を重ねた縛り手が、
縛りに支障が出るほど捻れている縄を使うのと、
受け手にとって痛くて苦しい引っ張り縄で縛ってしまうのは何故なのでしょうか?

ちなみに受け手は
「この縛り手は、『上手く縛ろう』としか思っていなくて縄目しか見ていない。受け手が痛くて苦しくても、縄目が綺麗ならいいと思ってるんだ」
と察すると
その縛り手に縛られることが苦痛になります(嫌われます)

なお、喜多道場の縛りは「縄目が綺麗に揃った縛りが心地よい」と考えていますが、詳しく説明すると、
「押し当てる縄で縄目が綺麗に揃った縄が心地よい」
ということで、決して引っ張って縛りませんし、かと言ってテンションが弱くて緩い縄でもありません

いわゆる「引っ張って縛って揃った縄目」は見た目が綺麗でも、受け手にとって痛くて苦しく、これは喜多道場が目指す縛りではありません

縄が捻れないように指先で整えながら引っ張っている人

受け手から「ちょっと痛いです」「ちょっと痺れます」と言われたのに直ぐに解かなかったことのある人

それは誰のためですか?
「自分が上手く縛りたい」ためではないですか?

上手く縛れているか
いい縛りかは
受け手が決めるものです

Shibari art by Seiichi Kita
@seiichi_kita
@38kita38 

キュレーター紹介

表向きは堅い仕事に従事し貞淑な妻を演じつつ、美と精神性に惹かれ緊縛の世界へ。魂に従い真実を生き、婆須蜜多女が説いた“抱擁による悟りへの道”に憧れる、知命を超えた喜多道場縛り手・受け手・モデル。

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