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女という性に生まれて

女という性に生まれて
 

ただそれだけ、
多くの場合、二つのうちのどちらか一つに生まれただけ、
ただそれだけで、身体をはしたない存在として扱われる。

時が経ち、当然に完成していく女としての身体を、世間は認めない。
なぜだろう。
女というだけでいやらしいものだと隠され、
表現することも許されない。
 

だが実際の街中はどうだろうか。
コンビニに成人向け雑誌は置かれ、
子供でも目につくところに風俗店はあり、
アニメやゲームでは、過剰なまでに性的特徴を強調されたキャラクターが登場する。それらはインターネットで対象者を選ぶことなく、無差別に表示される。


実際の生活のいたるところに
フィクションの女性は溢れているのに、
本物の女性は隠されている。なぜ…。

本物の女性はね、自分の身体を自由に表現することも許されていない。
下品だと言われ、白い目で見られ、挙げ句の果てには男に気に入られたいのかと、ありもしないことを言われるの。

まるで女は男のために存在すると言わんばかり。

人は皆、自分のために存在している。男女ともに。
その大前提があって、そこから何のために生きるのかを自分で決めていく自由と力がある。

現代の性はとても歪んでいる。
男女ともに抑圧され、期待され、
もう疲れてしまったんだと思う。
現実を見ることに。

フィクションに逃げる、楽しむことは
もちろん必要なことかもしれないけど
その前に、まず現実をしっかり受け止めて。

どうしたら上手くできるのか、正解はわからないけど、
今より楽になれるはず。

私はもう自分を隠すことに疲れてしまったみたい。

私は私のために、女という性を生きていく。

キュレーター紹介

喜多道場に受け手として,まれに出没するお喋り好きな20代女性です。 現代社会の"性"が窮屈で息苦しくて… でも,もっと生きやすくなりたくて,この道場に飛び込んできました。 Instagram,皆さんに撮っていただいたお写真で更新してます(笑)

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