出会い、そして、知り合うこと。
人は解らないもの、見たことのないものに対峙すると、
怖いとか気持ち悪いと感じることがあります。
普段、理由がハッキリしないのに、
感じるものごとって、ちゃんと知らなかったり理解できてなかったり、
反対に、よく知っているものごとや、理解できたり共感したりすることには
好意を持って接することができたりしませんか?
親近感は、どれだけ相手のことを知っているか?で
決まってくるのではないか?と私は思うのです。
喜多日曜道場で私と実際にお会いになったことがある方には
にわかには信じて貰えないかもしれませんが、実は私は人見知りなんです。
共通の話題を見つけられず、2時間無言
そんな私ですが、
初めてお会
これは、言葉で会話しなくても、縄を通じてその場にいた人たちと
「知り合う」
初めて会った人たちに自分の内に秘めている部分を見られる可能性があります。
そのため、
そして、
(正直、縛られているときは周囲の人にまで気を回す余裕はないです)
個人的な感想ですが、私は縛られながら、
チャネリングってこういうことかな?って感じることがあります。
そして、勿論、
練習中の方に縛られているときには「今、
感じることがありますが、しばらくして、
本音を言えば、いつでも受け手に集中していてほしいな…と思うけ
練習中の方の場合は、
そんなとき、
それに、私も気が反れてしまうこともありますしね。
自称、人見知りの私ですが、縄を通じて濃密な時間を過ごせた時は、
その後は自然と人見知りモードが解除されるみたいです。
それもまた、
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