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なぜ「緊縛ショー」ではなく、「逝かせ縄LIVE」なのか? その4

喜多道場@名古屋で受け手と縛り手を務めている、なおこです。

以前、なぜ「緊縛ショー」ではなく、「逝かせ縄LIVE」なのか?  にて、「なぜ喜多先生は緊縛ショーという言葉を使わずに、『逝かせ縄LIVE』と標榜するのかが分かったような気がしました」と書きましたが、今回はこれまで感じてきたことを加筆し、逝かせ縄LIVEの魅力をお伝えします。

一年前、初めて出演するにあたり、「50代でモデル経験なく、しかも緊縛受け手歴半年の素人の私が出演する意味って何なのだろう?」と考えて、思い至ったのは…

私はプロのモデルではありませんから、美しいポージングや華やかな表情を生み出す技量はありません。

でも、自分が受けた刺激や経験に対して反応したり感じていることを正直に出すことはできます。
これに気づいた瞬間、なぜ喜多先生は緊縛ショーという言葉を使わずに、「逝かせ縄LIVE」と標榜するのかが分かったような気がしました。

予定調和に綺麗に整った、所要時間に(場合によっては音楽に)合わせて縛ってみせる「ショー」ではなく

当日のモデルの衣装に合わせた染め縄の選定と縛り

モデルの反応に合わせて、その先の肉体と精神と性の解放へ導く喜多先生の縛りや、冷静さを伴いつつも気迫みなぎる展開と責め

それに呼応し、快楽に波打つモデルの肢体

BGMの無い無音の中、縄が畳に落ちる音や縄の軋む音、さらにはモデルから漏れ出る吐息や喘ぎ声

その場その時の状況に瞬時に対応することから生まれる、想定を超えた美を創り出す場

これが逝かせ縄LIVEの魅力、と思います。

その日その場に合わせて繰り出される縛りは再現不可能であり、その瞬間にしか現れない会場の雰囲気やモデルとお客様の反応があるからこそ、“LIVE”

なお、本来の緊縛は、ふたりきりの密室で、相手の体調や緊張度に合わせて、反応を見極めながら縛りを進め、縄を介して心を通わせ、その結果受け手も縛り手も快楽や多幸感を得るものだと私は思っています。


つまり逝かせ縄LIVEでご覧いただけるのは、本物の緊縛


全幅の信頼を寄せているから先生に委ねられる
そんな深い精神性も感じていたけると出演者経験者としてうれしいです。

今後の出演時にみっともない姿を曝け出してしまうと思いますが、これまでのように、ご来場される皆さんが誠実に、そしてあたたかく見守ってくださるので安心して出演できるのも逝かせ縄LIVEの魅力

今後の逝かせ縄LIVEの詳細等はこちらのサイトをご覧ください。

皆さまに会場や道場でお会いするのを楽しみにしています。

撮影:ミキさん、マーチンさん いつも素敵なお写真をありがとうございます✨

キュレーター紹介

表向きは堅い仕事に従事し貞淑な妻を演じつつ、美と精神性に惹かれ緊縛の世界へ。魂に従い真実を生き、婆須蜜多女が説いた“抱擁による悟りへの道”に憧れる、知命を超えた喜多道場縛り手・受け手・モデル。

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